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 3月10日、青年部はお待ちかねの池坊・藏重先生に学ぶ生け花講習会を開催しました。参加者は24名、早いもので第4回目となる今回は自然的自由花(初心者向きの盛花)、意匠的自由花、生花(一種または二種)の3つのコースが設けられ、参加者それぞれの好みと技能に応じて学ぶことができました。実際に池坊短期大学での授業でも使われるプリントが8枚も用意され、歴史を通じた「いけばなの理論」が資料としてきちんと手元に残るのも、教授である藏重先生の講習会の大きな特徴です。
 いざコースに別れ、楽しく頭を悩ませつつ夢中で花を入れていると、いつしかかたわらに立っておられ、褒めながら手直しをしてさらにいい姿にしてくださるその手法に、「もっと先生に教わりたい!」という気持ちになります。
 植物は必ずいけ手にこたえてくれるのだから、しっかりとしたコンセプトをもって生けること。説明のできない花を入れないこと。ぞんざいに扱わず、話しかけながら生けること。ときには大胆な決断力も生かしながら、常に前後・左右・空間・線・点・面・色の各要素を繊細に考えること。そして、フローリストとしていつも謙虚な気持ちでセンスをみがくこと。花によって生かされていることを人に伝えていくこと。お客さまに対しては、相手にあった好みを聞き出し、上手にまかせてもらえるフローリストになること、などなど。
 当初、「池坊のいけばな」というスタイルを学ぶつもりで訪れた講習会が、実は「はなに携わる心をまなぶ」場であったことに気づきました。あこがれの先生とのやっと4度目の講習会、さあこれからも、と思っていた矢先、わたしたちにとっては心底残念なことに、この日が最後のレッスンとなってしまいました。華道・語学、ともにご堪能な先生はその高い能力を家元に評価され、サンフランシスコで日本の、池坊のいけばなを広めるという重責を担われたのです。
 ショックを隠しつつ、一語一語をもらさず聞き留めようとするわたしたちにくださったラストメッセージ。それは一休禅師が残した一句、「心とはいかなるものをいふやらん墨絵にかきし松風の音」、これこそが日本人の心である、と。いろのない、墨の濃淡のみで描き出されたかそけき音の気配、それがこの歴史・風土で育ったわたしたちの心である、と。
 お別れはとてつもなく悲しい。けれどいつまでも感傷にひたっているよりは、出会えたことの喜びを大きな感謝にかえて、いつかお会いできたとき、「これがわたしの心です」と胸を張ってお見せできるような花をいけられるよう精進しよう。
 藏重先生、本当にありがとうございました。ますますのご発展を心よりご祈念申し上げます。